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タッキーのやっぱり聖書でしょ

またかと思われるかも知れませんが、また2列王記7章に出てくる4人のらい病人の話です。

当時、彼らの町サマリアは包囲されていて、アラムの軍隊が彼らを囲んでいた。

その町はアラムによって包囲されていて兵糧攻めにあっていてインフレはひどいもので(6章の後半)、鳥の糞でさえもものすごい値がついていた。牛の頭などは一人の年収以上という高価なものになっていた。今アメリカでのインフレもすごい、でもアメリカのインフレなんかとは比べ物にならない位の物価の上昇がそこにあった。

そこで動いたのは誰か。らい病と言う病気で街の中に入れなかった4人の男たち。もう人生に対して何の希望もなかった、ただ死を待つだけだったかも知れない彼ら。彼らは町が大飢饉であったので、もちろん彼ら自身はそれまでもひどい対応を受けていただろう。

「われわれはどうして死ぬまでここに座っていなければならないのか。たとえ町に入ろうと言ったところで、町は食糧難だから、われわれはそこで死ななければならない。ここに座っていても死ぬだけだ。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らがわれわれを生かしておいてくれるなら、われわれは生き延びられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ」(3-4節)。

「もう何も失うものはない、もうどうせここにいて、死ぬだけなんだから、一か八かいっちょ敵の陣地に入ってみよう」と立ち上がった4人。そして実際に当たって砕けろで、もう破れかぶれで死を覚悟して敵の陣営に入ってみたら、神の奇跡が起こりました。敵の陣地には兵がいなかった。神が奇跡を起こしてアラム兵を追い払ってくださっていた。誰もいなかったどころか、たくさんの食べ物が用意されていて、いろんな物に溢れていた。アラムの陣営について恐れていたことは、杞憂に過ぎなかった、拍子抜けだった、取り越し苦労だった、という感じでしょうか。

彼らの、「どうせこのままいても何もならないんだから、ダメ元でやってみよう。冒険してみよう」という姿勢がすごいと思います。


私たちは、もっと神様に働かれれるチャンスを与えても良いのではないでしょうか。自分たちの力のみでやるのではなく、神様に働かれるスペースや機会を与えて、神様に先に行ってもらう。神様に期待し、信仰をもって何かをする、信仰の冒険をするということを。せっかく奇跡を行なわれる神様が私たちの側にはおられるのですから、普通に考えて説明がつかないということを、アーバイン日本語教会を通して体験して行きたいですね。

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