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タッキーのやっぱり聖書でしょ

今回は、最近趣味になっているウクレレについてです。よく見るウクレレ動画で、山口岩男さんという日本を代表するウクレレプレーヤーがこのように言っていました。


『最近の日本のウクレレレッスン動画を見ていると、とにかく「あれはいけない」「これはいけない」といった**「禁止事項」**が多すぎると感じます。

「親指を出してはいけない」「正しい持ち方はこれだ」といった画一的な指導は、一見親切に見えますが、実は教える側が「なぜその動きになるのか」を説明する手間を省き、楽をしているだけではないでしょうか。何も知らない生徒さんに対して、自分の「型」を上から押し付けるような姿勢には、強い違和感を覚えます。

海外の奏者たちを見れば分かりますが、持ち方は千差万別で、誰も「型」なんて気にしていません。ウクレレは本来自由な楽器です。ひたすら弾き込む中で、自分の体格や動きに最適化されたスタイルこそが、その人にとっての「正解」になるはずです。

視聴者の方からも「適当といういい加減で自由な弾き方が好き」という声をいただきますが、まさにその通りだと思います。音楽は「型」にハマることではなく、自分の頭で**「思考」**することから始まります。』


なるほどなーと思いました。何でもそうですが一般的に日本的な教え方は、まず型から入りますよね。日本人はそれが好き。

でも彼が言うには、ウクレレの弾き方においては、毎日一所懸命やっていれば、ウクレレという楽器に関して言えば、演奏の持ち方やスタイルは最適化されていく、と。収まるところに収まってくるはず。それが自分にとっての一番合った形に結果的に収まってくるはずだと。


何かをする時に、カタ(形)は大事だと思います。それがないと「形無し」になってしまう。でもカタ(型)を自分なりに色々と合うように変えていき、人とは違う自分に合った「型破り」になるべきだとも思います。基礎(型)を身につけた上で破るのが「型破り」、基礎がないのに崩すのが「形無し」です。


聖書を読む時に、どのように読むかについてある程度の基本は大事だと思います。それにまずはイエスキリストという土台が重要です。なぜなら聖書はイエスについて書いてあるのですから(ヨハネ5:39)。 この方を念頭に置いて聖書を読まないと、聖書の主人公なくして読んで理解しようとしても土台がないので台無しになってしまいます。

でも、聖書の読み方、読める時間、読む場所、神様を近くに感じる場所、その人と神様との親密さ、などなどはそれぞれが人とは異なるでしょう。私たちは、一人ひとりユニークな存在であり、性格も、能力も、体力も、環境も、経験も感性も何もかも異なるのですから、それぞれに適した神様を最も近くに感じる方法があるのでは、と思います。

伝統的なスタイルに従うのも良いですし、「クリスチャンはこうあるべき」という先入観の枠の外でも考えてみましょう。もっと自由に自分にとっての最適化されたスタイル、正解を見つけてみてください。

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