タッキーのやっぱり聖書でしょ
羊飼いの声に従うということで、大切なのは、羊飼いであるイエスがどこへ向かっているのかを知って、そこに自分もついていくことです。私たちはつい、「私は何をしなければいけないんだろう」「もっと頑張らなきゃ」と考えてしまいます。でも、神様が一人ひとりに与えている道や役割は、みんな同じではありません。だから大切なのは、周りの人と比べることではなく、
「神様は、今の私に何を求めているんだろう?」
と聞いてみることです。
そして、もう一つ考えてみたいのが、「自分は今、どんな重荷を背負っているんだろう?負わされているんだろう?」ということです。
イエスはマタイ11章28節で、
「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」と言っています。
これって、すごく優しい言葉ですよね。「もっと頑張りなさい」ではなくて、「疲れたなら、こっちにおいで」とイエスは言ってくれているんです。私たちは、神様から与えられた重荷だけを背負っているとは限りません。人から期待されているから、頑張って背負っているものもあります。「こうしなきゃいけない」という思い込みや、今までの習慣、しきたりによって背負っているものもあります。また、自分自身が「もっとちゃんとしなきゃ」「失敗しちゃいけない」と、自分に重荷を載せていることもあります。
そして、本当は神様に任せればいいことまで、「自分が何とかしなきゃ」と思って、一人で抱えてしまうこともあります。だから、ときどき立ち止まって、こんなふうに自分に聞いてみたいと思います。
神様は、私にどんな重荷を託しているんだろう?何を望んでおられるのだろうか?
周りの人は、私に何を期待しているんだろう?(神様からの重荷以外で)
私は、自分自身にどんなことを要求しているんだろう?(神様からの重荷以外で)
もしかしたら、本当はイエスに任せればいいことまで、自分で抱えていないだろうか?
この4つを考えてみると、「あれ? これって本当に神様から与えられたものなのかな?」と思うことが出てくるかもしれません。もちろん、神様が私たちに託してくださることもあります。家族を愛すること。誰かに仕えること。仕事や奉仕をすること。誰かのために祈ること。そういうものは、時には大変でも、神様から与えられた大切な役割です。
でも一方で、「これは神様からではなくて、人の期待から背負っているだけかもしれない」というものもあります。あるいは、「自分が勝手に自分を、エゴやプライドによって追い込んでいるだけかもしれない」というものもあります。そして何より、私たちには、自分では背負えないものをイエスに任せるということが必要です。
イエスは続けて、
「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」
と言っています。つまり、「何も背負わなくていい」ということではありません。一人で全部背負わなくていい、ということなんです。イエスと一緒に歩けばいい。イエスの声を聞きながら、一歩ずつ進めばいい。イエスの示された道に忠実に進みさえすれば良い。
羊が羊飼いに、「次にどこへ行くのか全部説明してください」と言わなくてもいいように、私たちも全部を理解してから歩き出す必要はありません。
ただ、羊飼いの声を聞いて、
「主がこっちへ行くなら、私もついて行こう」
それでいいんだと思います。だから、これまでの固定観念や、「こうしなきゃ」という思い込みをいったん横に置いて、神様にもう一度訊いてみてください、
「神様、あなたは今、私に何をするように求めていますか?何を求めていないんですか?」など。
そして、「これは私が背負うものですか? それとも、私が負うのではなくあなたにお任せするものですか?」
と訊いてみる。神様が私に託してくださったものには、忠実に向き合う。でも、神様が与えていない重荷まで無理して背負わない。そして、自分ではどうすることもできないものは、イエスにお任せする。それが、羊飼いであるイエスについていくということなのかもしれません。疲れたときは、頑張って立ち続けなくてもいい。重荷が重くなったら、イエスのところへ持って行けばいい。イエスは、「もっと頑張りなさい」ではなく、「わたしのところに来なさい」と言ってくださっています。
だから今日も、全部を自分で背負おうとしないで、羊飼いの声を聞きながら、一歩ずつイエスについていましょう。

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