top of page

タッキーのやっぱり聖書でしょ

41 分前
読了時間: 3分

「多く赦された者は、多く愛する」

ルカの福音書7章には、涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、香油を塗った女性の話が出てきます。この女性は「罪深い女」と呼ばれていました。ちなみに、彼女はヨハネ12章に登場するマリアとは別の女性です。

この女性は、周りの人たちから見れば、批判されるような存在だったのかもしれません。でも、彼女はイエスのもとに来て、自分の愛と感謝を精いっぱい表しました。

イエスはこの出来事を通して、「多く赦された者は、多く愛する」ということを教えられました。

彼女は、自分がどれほど大きな赦しを受けたのかを知っていたからこそ、あふれる愛をイエスに示すことができたのだと思います。彼女にとって、涙でイエスの足をぬぐい、香油を塗ることは、彼女のできる心からの礼拝だったのでしょう。

慈悲、つまり mercy とは、「本来受けるべき罰を受けずに済むこと」です。私たちは本来、罪の問題を自分の力だけで解決することはできません。それでも神は、私たちを憐れみ、赦し、恵みを与えてくださいます。私たちは、その恵みによって生かされているのです。

一方、この場面でパリサイ人シモンは、女性の罪深さに目を向け、心の中で彼女を批判していました。彼には、女性の過去や罪は見えていても、彼女がイエスに示している愛の深さは見えていなかったのです。

これって、私たちにもあることではないでしょうか。

自分は大丈夫。自分はあの人ほど悪くない。自分はちゃんと信仰生活を送っている。そんな思いが強くなると、神に赦されていることへの感謝を忘れ、いつの間にか他の人の欠点ばかりが気になるようになります。

でも、私たちもいつまでも、どこまで行っても、神に罪を赦された罪人です。信仰生活が長くなっても、聖書の知識が増えても、神の恵みなしには生きられない存在であることに変わりはありません。

私たちの本来の姿、それは自分で自分の事を救うこともできない罪びとです。ただ神の憐みによって、赦され救われただけです。どれだけ長くクリスチャン生活をしていても、たとえどれだけ少しは昔と比べてマシになったしても、ただ赦された罪びと、それが本来の姿です。自分もまた、神の憐れみを必要としていることを覚えていれば、簡単に人を批判したり、見下したりすることはできないはずです。

私たちは、どれほど神に赦され、愛されているでしょうか。その恵みを忘れずにいるなら、神への感謝も、周りの人への接し方も、少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

神への感謝を絶えず忘れないようにする為には、どれだけ私たちが多く赦されたのかを自覚することかと思います。

だからこそ、自分の姿を映す鏡を忘れないようにしたいと思います。本来の私たちの姿をハッキリと見させてくれるのは、聖書です。私たちの感情は、「自分は少しはマシになった。他人よりは善人だ」と思うことがあるかも知れません。でも聖書は私たちの元々の罪びとの姿を映してくれます。そのことをリマインドしてくれます。でもそれと当時に、今神から赦され神の家族に招き入れられたという姿も、そして神の目に高価で尊いという事をも。

私たちは、聖書から離れたら神への感謝は薄れていくのかも知れませんが、聖書を読んでいれば神への感謝は絶えないでしょう。やっぱり聖書に日々接していくことは大事ですね。

コメント


© Copyright Irvine Japanese Christian Church
bottom of page