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ダライ・ラマ

 日本で戦後最年少(50才)で大使に就任し、欧州・アフリカ大陸に知己が多い岡村善文・元経済協力開発機構(OECD)代表部大使に、40年以上に及ぶ外交官生活を振り返ってもらった(『産経新聞』2025年4月6日付)。 

 1995〜1999年の在インド日本大使館勤務時代、インドに亡命中だったチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世を訪ねた時のことです。日本の国会議員が、ダライ・ラマ法王に会う約束を取り付けたため、私も同行したわけです。法王は24才だった1959年、中国政府の迫害から逃れてインドに亡命。ヒマラヤ山脈の麓の村、ダラムサラで亡命政権を樹立し、チベットの自治実現を目指して非暴力の活動を続け、1989年にノーベル平和賞を受賞しました。 彼の邸宅を訪れた私たちは和やかに話をし、私はこの機会に、とっておきの質問をした。「猊下、仏教とは一言で言うと、どういう教えですか?」。私は、平和とか、人間とかという答えを期待していた。法王は少し考えた後、こう答えました。「仏教は難しい。私は子供の頃から経典を一生懸命、勉強した。ただ、勉強しても難しくて分からない」。チベット仏教の最高権威が、仏教は分からないと言う。当惑しながら黙っていると、続けて言われました。「最近になってようやく理解できるようになりました。仏教、あれは数学です」。 数学とは、〝真理〟という意味か、〝論理学〟という意味か…。答えがあまりに意外だったため、それ以上聞くことができませんでした。 今思うと、とても残念でしたが、彼が権威を振りかざしたり、もったいぶったりすることもなく、分からないことを「分からない」と言う率直な姿に、感銘を受けました。ただ、仏教が数学とは、どういう意味なのか…。いまだに、私の頭の中にある命題です。

 パウロは聖書に対して、『幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物で~人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である』(2テモテ3・15~16)と語る。聖書は信仰によって救いに導く知恵の書だと宣言する。実に明解であるが、膨大な仏教経典から、しかも実態のない教えから何を汲み取ろうというのか。分からないということが分かることがその真髄なのかも。偉い人がいたものだ。

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