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パンクしたタイヤが変えた人生 ①

 今回は日々野正也牧師の証しである。先生はかつて近隣のウィンタースバーグ長老教会英語部で長年牧会され、また、以前は南部のアメリカ人教会で牧会しておられた神の器である。二〇一〇年に奥様の美恵子夫人を天に送られ、現在はお一人でパサデナに住んでおられる。かくしゃくとした九十二才である。

 先生は愛知県瀬戸市に生まれ育った。名古屋の光陵高校を卒業後、アメリカ軍が翻訳者を募集していると知って英語の試験を受けたところ、合格して仕事が与えられた。しかし、長く続かなかった。日本国内の政治的な破壊活動を報告する仕事だったが、そうした活動はなく、三ヶ月で解雇されてしまったのだ。

 日々野青年が次に何をしようかと思案していた頃のことだ。当時、名古屋近辺では駐留軍のアメリカ兵たちが軍用車や自家用車を乗り回していたこともあり、やがて日本にも車の時代が来るはずだと考えるようになった。そして、自動車について学びたいと思い、近くの町にあったタクシー会社に行って、車のことを教えて欲しい、と頼んだところ、運転手の手伝いなら良い、ということになり、給料なしで雇ってもらうことになった。そこではわずか三ヶ月間働いただけであったが、それが日々野青年の人生を大きく変える転機となった。

 ある日、日々野青年の勤めるタクシー会社に人がやって来て、近くの橋の上でアメリカ人夫婦の車がパンクしているので助けが必要だ、と頼んできた。そこで、少しばかり英語の話せた日々野青年が出向いて行き、パンクしたタイヤを外して会社に持って帰り、修理したタイヤを車に取り付けたところ、彼らはとても喜んでくれた。彼らは瀬戸物の骨董品を探しに瀬戸に来ていたのだった。

 その同日、日々野青年は、近隣の町の結婚式に花嫁たち一行を車で連れて行く仕事が入っていた。その途上、1キロも走らないうちに、日々野青年の目に、先ほどのアメリカ人夫婦の車が再びパンクして停まっている光景が飛び込んできた。それは修理したタイヤではなく、別のタイヤだった。結婚式の時間が迫っていたので、パンクしたタイヤを外してタクシーに載せ、大急ぎで日ごろから付き合いのある運送会社にタイヤを持ち込んで修理してもらうことにし、アメリカ人夫婦には、結婚式が終わるまで彼らの車で待ってもらうことにした。

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