マザー・テレサ
- Rev. Tsukasa Sugimura
- 7月20日
- 読了時間: 2分
東欧出身の彼女は、カトリックの修道院を一人出て、社会から見放され、寄る辺のない貧しい一人一人を慰め、手元に引き取って支援しました。その高潔な献身ぶりは世界中に感動を引き起こし、1979年にノーベル賞を受賞しましたが、私は彼女の活動ぶりを知りたくて、彼女の修道会が運営する孤児院を訪問しました。孤児院では、引き取られた子供たちが大勢で生活していました。
マザー・テレサは執務室のような部屋で、私を迎えてくれました。部屋には、分厚い絨毯が敷かれるわけでも、高価な絵画が飾られているわけでもない。無機質ともいうべき簡素な部屋の粗末な椅子に、彼女は座っていました。私は挨拶の接吻をするため、彼女の手を取ると、女性らしからぬ逞しい手をしておられた。「人類愛の〝鑑〟のような方とお会いでき、光栄です」などと言って、話を進めました。彼女がちょうど、米国史上5人目の「名誉市民」に選ばれた、というニュースが飛び込んでおり、私はお祝いの言葉を伝えました。そして、「名誉市民だから、米国に行くときも査証(ビザ)は要りませんね」と、冗談を言いました。すると、彼女はぶっきらぼうにこう言ったのです。「名誉市民なんて、どうでも良いわよ。私は、査証など無くても、世界中のどこにでも行きます」。そんなもの、何になるか、と言わんばかりの、反骨の答えでした。私はこの人には、どんな権威も意味がないのだと、感服するばかりでした。
ルカ10章に、「良きサマリヤ人」の話がある。強盗に遭い死にかけているユダヤ人を、彼らに見下されていたサマリヤ人が介抱し、全快するまで助けたという話である。それが神の愛なのであり、互いにそうであれと主は願っておられるのである。全ての人の創造者であり、愛される神は、世の権威を超えて私たちに迫る。だから、マザーは誰でも助けを求める人に愛の手を差し伸べるのだが、そこには世へのてらいも誇りもない、ただ神の僕の姿だけがそこに輝く。




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