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復興とは何か

 今回は6月5日の夜、人気番組「カンブリア宮殿」で、岐阜県安八(あんぱち)町の「浅野撚糸(ねんし)」が、福島県双葉町に建てた新工場がテーマだ。

 撚糸とは複数の糸をより合わせて作る糸のことで、社長の浅野雅己(64)は、綿の糸と、お湯に溶ける水溶性の糸をより合わせて作る新技術を独自開発し、これをスーパーゼロと命名した。そして、抜群の吸水性と速乾性を持ち合わせたタオルが出来上がると、魔法のタオルと呼ばれて、大ヒット商品となった。

 そんな浅野に、経済産業省から、2011年の福島原発事故で住民が避難を余儀なくされた双葉町に、雇用を創出して欲しいとの依頼があった。2022年のアンケートでは500人が戻ってくるというので、彼は30億円を投資して巨大な撚糸工場を建設した。ところが、実際に帰還した住民は30人で多くは高齢者だった。戻らなかった理由は彼らがすでに避難先に落ち着いていたり、新居を建てたりしていたからだった。浅野は新工場建設を後悔した。

 一方で、何か自分でも出来ることをしようと考えた浅野は、近隣の高校を訪れて従業員になって欲しいと訴えると、数人の高校生がそれに呼応した。そこで工場見学に訪れた高校生たちが、既に働いている新入社員たちに質問する時となり、ひとりが尋ねた。「あなたにとって復興とは何ですか?」と。すると若い女性社員が答えた。「私はこれまで復興の力になるようなことは何も出来ませんでした。でも、何かしたいのです。私にとって復興とは、私がここにいることです」と。これを部屋の外で聴いた浅野は泣いた。高校生たちも泣いた。

 この女性の言葉が、なぜ聞く者の心を捕らえたのかというと、若く実績もなく、何が出来るかも分からない自分でも、とにかく自分がそこにいて、自分にできる何かをすることが復興だという固い信念が、浅野たちの心を揺り動かしたからではないだろうか。つまり、復興とは何か特別なことをするというのではなく、自分の今いる場から一歩立ち上がって、この自分にでもできる何かをすることなのだ、という信念が高校生の心に共鳴したからではあるまいか。

 信仰の世界も同じである。主イエスが「私たちを愛された」(ヨハネ3・16)という魂への語りかけが、私たちの本来の求めに共鳴したからではあるまいか。

 

 

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